あれ以来、仕事中にも沼の方角から、私にだけ響き渡る、あの忌まわしいフルートの音が不快感を募らせる。
私以外の誰にも聞こえ得ない不条理な旋律が、昼夜を問わず私だけの脳髄と海馬を鬱々と刺激し続けるのだ。
私の机の窓の先、あの沼の辺りから聞こえてくる音について、その発端と契機のついては明らかにあの日の一件に違いない。
あれから聞こえ始めたその旋律が、日に日に大きさと苛立たしさを増し、今では堪え難いまでに狂おしく暴れまわっている。
果たして人に奏でられるものであろうか。
その不可能性については論ずるに値せず、悪魔のトリルに思いを致せば、悪魔ならまだ優しくて可愛いのだと喧伝して然るべき程である。
遅かれ早かれ私の心と体は耐えられないであろうことは想像に難く無く、この音を止める手立ては一つ以外に思いつかないこの凡百の想像力と、未だ果たせない貧弱な行動力を呪うしかあるまい。
誰かを傷つける前に決着をつけなければならないのだ。
最早、私の様子が以前と違っていることについて、知らぬ者がいないことも私は自覚している。
憔悴し顔色が青ざめて行き、声を荒げるようになった私の異常性について気が付かない者があるはずが無い。
しかして、一つ訂正しなければならないのは、音が大きくなっているのではなく、音が近づいているという事実である。
音の発生源が、奴らが、着実に私のもとに近づいているという事実である。
私が沼に一切近寄らないことに対して、痺れを切らして、迎えに来ているのだろうか。
ことここに至り、仕事中にもその影が窓に写っている事は誤魔化し様の無い、歴然とした事実として迫ってきているのであり、今も奴らは誰にも知られぬよう、私にだけ伝わるよう、狂ったようにフルートを吹き鳴らしているのだ。
ああ、私の夢にまで厭らしくも堂々と姿を顕す奴らの姿が、一歩一歩、着実に這い寄って来ている様がありありと、フルートを、とうとうその影が、奴らの影が、明確かつ明瞭に、私の机の前の、窓に、窓に!
posted by アスタリスク at 11:14|
Comment(1)
|
日記
|

|